ゆかりの人々
ゆかりの人々
弥山の開祖である弘法大師、厳島神社に自らの栄華を重ねた平清盛──。
弥山を御神体とする宮島に魅せられた、偉大なる歴史人たちをご紹介します。
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一弘法大師(空海)<774~835>774~835>
日本史を代表する僧にして、真言宗の宗祖。大同元年(806年)、弘法大師が唐から帰国した際に宮島に立ち寄ったことから、霊場としての弥山の歴史は始まりました。それゆえ、山頂には大師が修法したとされる弥山本堂・霊火堂などの仏閣が、今も数多く点在しています。また、一説には弥山の形が中国の須弥山に似ていることから大師が名付けたと伝えられています。
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二平清盛<1118~1181>
厳島神社ゆかりの人物として最も有名。地方官の安芸守となったことで宮島への信仰を深めた平清盛は、厳島神社を現在の寝殿造りの姿に造営し、同時に京の文化を宮島に移すなど、宮島の繁栄に多大に貢献しながら、自身も平家一族の隆盛を極めました。島の人々もそんな清盛への愛着は深く、昭和29年には没後770年を記念して清盛神社が建てられています。
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三毛利元就<1497~1571>
中国地方が誇る戦国大名。日本三大義戦の一つである厳島合戦(弘治元年(1555年))をターニングポイントに有力者になりました。この時すでに59歳の「遅咲きの智将」は、この勝利をきっかけにまず防長(山口県)を攻略し、しだいに中国地方を手中にしていきます。また、宮島への厚い信仰心でも知られ、厳島神社の造営や再建、寄進を数多く行っていたようです。
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四豊臣秀吉<1537~1598>
名高い戦国武将である豊臣秀吉は、九州遠征の道中で宮島に立ち寄り、戦没将士の慰霊のために大経堂(千畳閣)を建立しました。秀吉の死により、天井の板張りや正面入口など未完成のままが、五重塔とともに国の重要文化財に指定されています。また、大聖院には朝鮮出兵の際に祈願した波切不動明王が祀られているなど、秀吉も宮島に縁の深い歴史人の一人です。
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五伊藤博文<1841~1909>
三鬼堂に信仰が厚く、たびたび訪れていたとか。さらに、弥山頂上からの眺めを「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と感嘆し、広く内外に知らせるべきだと、当時七千円の浄財を出して登山道の整備まで行いました。この言葉は、大聖院境内の大自然石に彫った碑文としても残されています。また、弥山本堂の掲額は伊藤博文直筆によるものです。