歴史・文化

HISTORY / CULTURE

古代から信仰を集める
美しい神の島

通称「宮島(みやじま)」として知られる「嚴島(いつくしま)」は、日本の瀬戸内海に浮かぶ周囲約30kmの島です。広島湾の南西部に位置し、広島県廿日市市に属しています。

宮島は古代より島そのものが神として信仰の対象とされています。また、平安時代の貴族の邸宅建築、寝殿造りで社殿が作られている嚴島神社と手つかずの自然が現存する弥山(みせん)原始林は1996年(平成8年)に世界遺産に登録されました。さらに、日本三景のひとつ「安芸の宮島」でもあり、江戸時代から日本屈指の観光地として栄え、現在も年間500万人近い観光客が国内外から訪れています。

語り継ぐ宮島

古代から現代まで、さまざまな出来事の舞台になった宮島。多くのエピソードの中から、ピックアップしてご紹介します。

  • 宮島に雅な
    貴族文化が伝わる
  • 神の島 宮島が
    戦場に!?
  • 未完成の国重要文化財
    豊国神社(千畳閣)
  • 弥山山頂からの
    眺めは日本一!?
  • 宮島の最高峰
    霊山「弥山」

宮島に雅な
貴族文化が伝わる

海上に浮かぶ大鳥居と社殿で知られる嚴島神社は、平安時代末期に平家一族の崇敬を受けました。1168年ごろには平清盛(たいらのきよもり)が現在の社殿を造営し、華やかな時代を過ごしました。清盛が奉納した「平家納経」は、国宝の中でも第一級の品と称されています。その他にも、清盛は舞楽を大阪四天王寺より移し甲冑(かっちゅう)や刀剣類等の美術工芸品を奉納するなど、都の文化を宮島に移しました。清盛は平家一族の隆盛を極め宮島の繁栄に多大に貢献したので、現在も宮島の人びとに親しまれています。

神の島 宮島が戦場に!?

宮島は現在も神の島として敬われていますが、古くは戦場となることもありました。それが日本三大義戦の一つである嚴島合戦です。1555年(天文24年)、主君大内義隆(おおうちよしたか)を殺して領国を奪った陶晴賢(すえはるかた)を毛利元就(もうりもとなり)が嚴島に敗死させた戦いです。陶軍兵力は2万とも3万とも云われ、毛利軍兵力は4千から5千と云われています。普通に戦えば勝機が低いと考えた毛利元就は、巧みな謀略で陶晴賢を狭い嚴島におびき寄せました。そして毛利軍は一斉に奇襲を仕掛け、陶晴賢を討ち取りました。嚴島合戦後、毛利元就は戦死者を対岸に運ばせ埋葬させ供養しました。そして、血で汚れた嚴島神社の社殿を洗い流し清めさせ、島内の血が染み込んだ部分の土を削り取らせたと云われています。その後、毛利元就は勢力を伸ばし中国地方を代表する戦国大名となり、嚴島神社の造営や再建、寄進を数多く行いました。

未完成の国重要文化財
豊国神社(千畳閣)

名高い戦国武将の豊臣秀吉(とよとみひでよし)も宮島に縁の深い歴史人の一人です。1587年(天正15年)、秀吉が九州への出陣の際、戦没した武将の霊を慰めるため、また平和と繁栄を祈願して宮島に桃山時代の壮大な建築様式の豊国神社(千畳閣)を建てさせたと云われています。その秀吉が亡くなり工事が中止され、天井張りや正面入口など未完成のまま、豊国神社(千畳閣)は国重要文化財に指定されています。

弥山山頂からの
眺めは日本一!?

近代では、初代内閣総理大臣 伊藤博文(いとうひろぶみ)が宮島 弥山への信仰が厚く度々訪れたと云われています。伊藤博文は弥山頂上からの眺めを「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と感嘆したそうです。また、浄財(じょうざい)を集めさらに私財を投じて弥山の素晴らしさを内外に広めるため、登山道の整備まで行いました。伊藤博文の言葉は、大聖院境内の大自然石に彫った碑文としても残されています。

宮島の最高峰
霊山「弥山」

嚴島神社の背景に広がるのは、宮島の最高峰標高約535メートルの霊山「弥山」。1200年もの昔、弥山は弘法大師空海(こうぼうたいしくうかい)により開基されました。弘法大師は100日間の求聞持(ぐもんじ)の修法を行いました。その際、弘法大師が修行を行ったと云われる弥山本堂や1200年以上経った今も燃え続けている きえずの火など、数多くの足跡や伝説を残しています。また、弥山には自然が創り出した巨岩のアーチ、くぐり岩や山頂に神が鎮座すると云われる磐座石など奇岩怪石があり、史跡と相まってすばらしい景観を創り出しています。

七不思議

弥山には、7つの不思議な験(しるし)が伝承されています。

  • 消えずの火

    消えずの火

    大同元年(806年)、大聖院を開いた弘法大師(空海)が修行の際に焚かれてから、今日まで途絶えることなく燃え続ける霊火。この火で沸かした霊水は万病に効くと云われています。また、広島市の平和記念公園の「平和の灯火」の元火にもなりました。

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  • 錫杖の梅

    錫杖の梅

    弥山本堂横にたたずむ八重の紅梅で、弘法大師が立てかけた錫杖が根をはり、ついには梅の木になったという不思議な話が残っています。毎年美しい花を咲かせていますが、山内に不吉な兆しがあると咲かないと云われています。

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  • 曼荼羅岩

    曼荼羅岩

    本堂の裏側を少し下った所にある、畳数十畳分もの巨大な岩盤。古来より弘法大師の書であると伝えられる文字と、梵字やイラストが刻み込まれています。現在は、台風の影響で大木が倒れたため道を閉鎖し立入禁止となっています。

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  • 干満岩

    干満岩

    その名の通り、側面にあいた小さな穴の水が潮の満ち引きにあわせ上下する巨岩。しかし、その岩穴は標高約500mの地点にあり、さらにはその水には塩分が含まれているのだとか。いまだ科学的な証明がされていない、七不思議の一つです。

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拍子木の音

カチーン、カチーン。人気のない深夜、どこからともなく拍子木の音が聞こえてくると云われています。それは弥山に棲む天狗の仕業だろうと語り継がれ、音が鳴っている間は家にこもっていないとたたりがあると恐れられていたそうです。

しぐれ桜

どんな晴天の日でも時雨のように露が落ち、地面は通り雨が過ぎ去ったように濡れる不思議な桜。江戸時代に発行された『宮島図絵』にも、その奇妙な現象が記されているとか。残念なことに現在は伐採され、見ることができません。

七龍燈の杉

旧正月初旬の夜になると宮島周辺の海面に現れるナゾの灯りを龍燈と言い、この龍燈が最もよく見える弥山頂上の大杉は「龍燈の杉」と呼ばれていました。現在この杉は枯れてしまい、見ることができません。

古刹

弘法大師が開基したとされる弥山は、いまも神々が宿る古刹の宝庫。
ちょっとミステリアスな雰囲気の中、見どころ豊富な神社・仏閣巡りが楽しめます。

  • 弥山本堂

    弥山本堂

    唐から帰国した弘法大師が霊地を探し求めて宮島に立ち寄った際、山の姿が須弥山に似ているところから弥山と名づけ、御堂を建て100日間の求聞持の修法を行ったところ。本尊は虚空蔵菩薩で、脇に不動明王と毘沙門天を祀ります。平清盛、足利義尚、福島正則などの雄将の信仰が厚かったと云われています。火。この火で沸かした霊水は万病に効くと云われています。また、広島市の平和記念公園の「平和の灯火」の元火にもなりました。

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  • 霊火堂

    霊火堂

    弥山本堂の目前にあり、806年に弘法大師が修法を行った際の霊火が、1,200年たった今も「きえずの火」として燃え続けています。この火にかけられている大茶釜で沸かした霊水を飲むと、万病に効果がある、幸いが約束されると云われ、その場でお茶をいただくこともでき、ご利益を求めて弥山に登る人が後をたちません。

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  • 三鬼堂

    三鬼堂

    鬼の神を祀る古刹で、福徳、智恵、降伏の徳をそなえた霊験あらたかな弥山の守護神。大小の天狗をお供に強大な神通力で衆生を救うとされ、家内安全・商売繁盛にご利益があります。伊藤博文の信仰が厚くたびたび参籠に訪れており、当時七千円の浄財を出して登山道を整備し、頂上からの景観を好んだとか。

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  • 大日堂

    大日堂

    厳島神社の神護寺として勢力を持ち、明治以前は正月七日間全島の僧が登山して、修正会を勤修し国家の隆昌を祈願した道場。本尊に金剛・胎の両部の大日如来を祀ります。

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  • 文殊堂・観音堂

    文殊堂・観音堂

    三鬼堂から少し登ったところにある文殊堂は学業の仏様で、智恵を授ける文殊菩薩を祀っています。となりの観音堂には観音菩薩を安置、こちらは安産の仏様です。

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  • 奥の院

    奥の院

    御山神社の西方、仁王門から下ると奥の院があります。ここも弘法大師が修行を行っていたとされる場所で、往時の面影はないものの今でも信仰者が多く訪れています。

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  • 御山神社

    御山神社

    平清盛が嚴島神社本社を建てたときに奥の宮として建てたものといわれています。朱の社殿3社が並び、厳島神社と同じ、市杵島姫・田心姫・湍津姫の三女神が祀られています。

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  • 水掛地蔵堂

    水掛地蔵堂

    鯨岩から少し上ると水掛地蔵堂があります。この親子地蔵に水を掛け、祈願すると子供についての願いが叶うといわれています。

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ゆかりの人々

弥山の開祖である弘法大師、厳島神社に自らの栄華を重ねた平清盛──。
弥山を御神体とする宮島に魅せられた、偉大なる歴史人たちをご紹介します。

  • 弘法大師(空海)

    弘法大師(空海)<774~835>

    日本史を代表する僧にして、真言宗の宗祖。大同元年(806年)、弘法大師が唐から帰国した際に宮島に立ち寄ったことから、霊場としての弥山の歴史は始まりました。それゆえ、山頂には大師が修法したとされる弥山本堂・霊火堂などの仏閣が、今も数多く点在しています。また、一説には弥山の形が中国の須弥山に似ていることから大師が名付けたと伝えられています。

  • 平清盛

    平清盛<1118~1181>

    厳島神社ゆかりの人物として最も有名。地方官の安芸守となったことで宮島への信仰を深めた平清盛は、厳島神社を現在の寝殿造りの姿に造営し、同時に京の文化を宮島に移すなど、宮島の繁栄に多大に貢献しながら、自身も平家一族の隆盛を極めました。島の人々もそんな清盛への愛着は深く、昭和29年には没後770年を記念して清盛神社が建てられています。

  • 毛利元就

    毛利元就<1497~1571>

    中国地方が誇る戦国大名。日本三大義戦の一つである厳島合戦(弘治元年(1555年))をターニングポイントに有力者になりました。この時すでに59歳の「遅咲きの智将」は、この勝利をきっかけにまず防長(山口県)を攻略し、しだいに中国地方を手中にしていきます。また、宮島への厚い信仰心でも知られ、厳島神社の造営や再建、寄進を数多く行っていたようです。

  • 豊臣秀吉

    豊臣秀吉<1537~1598>

    名高い戦国武将である豊臣秀吉は、九州遠征の道中で宮島に立ち寄り、戦没将士の慰霊のために大経堂(千畳閣)を建立しました。秀吉の死により、天井の板張りや正面入口など未完成のままが、五重塔とともに国の重要文化財に指定されています。また、大聖院には朝鮮出兵の際に祈願した波切不動明王が祀られているなど、秀吉も宮島に縁の深い歴史人の一人です。

  • 伊藤博文

    伊藤博文<1841~1909>

    三鬼堂に信仰が厚く、たびたび訪れていたとか。さらに、弥山頂上からの眺めを「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と感嘆し、広く内外に知らせるべきだと、当時七千円の浄財を出して登山道の整備まで行いました。この言葉は、大聖院境内の大自然石に彫った碑文としても残されています。また、弥山本堂の掲額は伊藤博文直筆によるものです。